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パティシエと職人の素顔

パティシエと職人の素顔 和菓子編1 喜久月

青山信雄さん

<青山信雄さん経歴>

1922年 東京は湯島に生まれる。
1934年 小学校を卒業後、「喜久月」に弟子入り
1943年 徴兵されて海軍へ入隊
1944年 乗り組んでいた軽巡洋艦が沈没し、九死に一生を得る。
1948年頃 終戦後、しばらく休業していた「喜久月」を再開。
1954年 新作菓子「あを梅」が第13回全国菓子大博覧会で特等受賞。
1986年 台東区優秀技能者として表彰される。

和菓子職人になられたきっかけは?

私はもともと和菓子屋の子どもに生まれたんじゃないんですよ。私の実家は湯島にあって、おやじは精米機を作って売っていたんだ。でも私はそういう仕事が大嫌いで(笑)。おやじの妹が銀座の和菓子屋に嫁いでいたので、小学生の頃、ちょくちょく遊びに行って、お菓子を作っているところを見ていたんだね。「俺、菓子屋になるっ!」と始まっちゃったんだよ。小学校を卒業して、せっかく中学を受験して受かったのに入学式の前日に家出して、砂糖問屋をしていたおじさんのうちへ逃げちゃった。翌日、母親が涙をぽろぽろこぼしながら迎えにきたよ(笑)。

結局、親は私の気持ちを納得してくれたんだが、その時の条件が「日本一のお菓子屋になること」。砂糖問屋のおじさんの紹介で、腕のいい職人のいる「喜久月」に12歳の時に小僧さんで入って、今までずっと菓子屋をやってますよ。これまで台東区や東京都から伝統技能の職人として表彰され、2年前にはアメリカの新聞にも紹介されたので、そろそろ「日本一の菓子屋になる」という親との約束を果たしたんじゃないかな。

現在は製菓学校に入って菓子作りを学ぶ人がほとんどですが、青山さんが経験した徒弟制度との違いは?

菓子作りを体で覚えるには、他の人のやっているのを見て学ぶのがいいんですよ。私が12歳で「喜久月」に入ったとき、表に4人、奥に2人の小僧さんがいました。毎年、ひとりずつ新人の小僧が入ってきて、丸3年過ぎると奥へ入って、実際の菓子作りをさせてもらえるんです。それまでは朝一番に起きて土間の掃除、お客さんの応対、そして雨が降っても、風が吹いてもお得意さんへの配達だ。そうやって仕事をしながら菓子作りの様子を見ているから、奥へ入ったらすぐに仕事ができるんです。これが見習い。新人がいきなり手で教わっても覚えられるものじゃない。何年も見ているから、自然と頭の中へ入ってっちゃうんだ。それが製菓学校との違いですよ。

そのかわり仕事は大変ですよ。休みは月に一度でね。一番下の小僧は夜中に逃げ出さないよう、おやじさんの隣に寝かせられるんですよ(笑)。

機械を使った菓子作りが主流になった今、職人としての青山さんのこだわりとは?

私たち菓子職人は日本料理の板前と違って、河岸で新鮮な魚を仕入れて料理をするというのができないんだね。小豆と白いんげんと砂糖と、限られた題材を使って煮てこしらえる職人の技というのが、ひとつ出てくる。今はあんこ屋からあんこを仕入れる店も多いけれども、うちでは毎日あんこを練ってますよ。小豆を煮るのにも神経つかって、「おい、煮えた!」という時にパッと火を消す。煮えすぎちゃいけないんです。そのあと小豆の皮を取って水にさらし、手で練っていく。なぜこの方法が一番おいしいかというと、今はどこでも100%機械で練るから、砂糖の混ざった豆のデンプン質に空気が入って、余分なねばりが出るんですよ。本当のあんはさらさらっとしてなきゃいけない。

本来、和菓子は色や形が中心じゃないんです。中のあんと表のあんが同じにビッといって、口の中に入って噛んでいるときのかたさが勝負なんです。この菓子のこのかたさは何を意味したかたさなのかを、いつも考えていないと。

たとえば練り羊羹なら噛んだ時、カックンと歯形がついて食べられるものが本物です。機械で練った羊羹を噛んでご覧なさい。コツン、コックン、コルン、コルンという感じがします。うちでは練り羊羹も手で練ってますから、このカックンという、本来の食感がわかってもらえるはずですよ。

過去のコンテンツ:2004年8月〜2006年12月まで、
活躍中の29名のパティシエ、パティシエールにご登場いただきました。

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