おやじ(初代・繁氏)は明治38年、浅草で生まれました。実家が不動産業をしていて、それなりに恵まれた生活だったんですね。小学校に入ると同級生はみんな着物なのに、おやじだけは洋服に腕時計(笑)。ただ生来からだが弱くて、二十歳の頃には東大病院を出たり入ったりだったそうです。その後、少しずつ健康を回復したんですが「このままじゃいけない、何か自分の好きなことをやろう」と決心し、昭和4年に「ササマパン店」を開業しました。
おやじは一人っ子でかわいがられて、子どもの頃からおいしいものを食べつけていたんですね。普通のパンではつまらないからと、生地に卵を3割入れて真っ黄色な食パンを作ったり、みつ豆パンやカレーパンを作ったり。当時の中村屋社長・相馬愛蔵さんが「神田に面白いパン屋がある」と言って、車で買いに来たそうですよ。
ただしパン屋の販路はせいぜい300メートル以内。また、どんなにおいしくても目上の人へご進物としては持って行けないですね。それでは面白くないからと、もともと好きだった和菓子の世界へ入ったんです。ただしおやじはいっさい菓子作りはしません。私自身もそうですが、店主はプロデューサーに徹し、自分が食べたいと思うものだけを作る。それをお客さんが喜んでくれればいいという考えですね。工場はうちに40年以上いる職人が中心になってやっています。
おやじはなにしろ一店舗主義で、それは私も同じです。やはりおいしいお菓子を作るには、そんなに手を広げられません。私自身、自分で作らなくても、毎朝、できたお菓子を見て触ればいいか悪いかはすぐにわかります。そういうのがわからない所で菓子が売れていくというのが不安なんですね。おそらく今の売り上げを10倍にしようと思えばできるかもしれないけど、そんなことをしたら自分のお菓子が潰れてしまう。損得で動くのはつまらないですよ。そんなにたくさんお金があっても死ぬまで持っていけないから、そこそこ食えればいいんでね(笑)。お客さんの顔を見ながら「この間の菓子、おいしかったよ」と言ってもらったり、あるいは時にはおしかりをいただくこともあるわけです。やっぱり1年365日作っていて、調子のいいとき、悪いときは当然あるわけですから。そういうお客さんはこれまたありがたいんです。
よく聞かれるんですが、困るんですよ(笑)。うちは昔からの作り方で、当たり前のことを当たり前にしているだけ。こし餡はもちろん、白餡も自家製ですから、ちゃんと大手亡の味がするわけです。あとは食べて、味わってもらうしかない。羊羹にしても、外見はみんな同じですから。
また「さゝま」の菓子は全部、お茶席で使えるものですが、もちろん茶道をされていない方でも普段においしく食べていただければいいと思います。その時、季節ごとに変わる菓銘とデザインに目を留めると、さらに楽しくなりますよ。例えば二月の菓子「下萌」はいろんな表し方があって、お菓子屋さんによって違う。うちの場合は上に雪があって、真ん中に土、その下に草の三段になっている。上は雪だけど、地面の下には次に息吹が生まれているというイメージですね。小さくて地味ですが、僕なんかは好きなお菓子ですよ。
和菓子を楽しむ方々には、ぜひ本物の味を知って欲しいと思います。うちの工場には菓子屋のせがれや菓子職人になりたい人たちが修行に来ていて、彼らにはレシピを全部教えています。日本中、どの菓子屋でもおいしい和菓子を作って欲しいし、子ども達にも「和菓子って、おいしいね」と言って欲しいんです。